あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

1社名②

 そのような状況下、当然、会社を辞めることに目は向き、まずやったのは、新聞記者試験を片っ端から受けることだった。記者になりたいわけではない。ただ、何かをしなければやってられない気持ちからである。当然、全落ちである。次に、目を付けたのが、公務員試験。1年目は、勉強もせず、全落ち。2年目は、受験勉強並みに勉強し、10倍近くの倍率を突破する。(思えば無駄な労力を費していたものだ。。)2次の集団面談も、さすがに学生相手のディスカッションに負けるわけはなく、撃破。3次の個人面談に臨む。そこで、またまた悩ましい一言が、面接官からでる。”3年も民間でやって、公務 員になるのは、もったいない”心からの思いで言ってくれているようで、心が揺れた。合格後、何人もの人に相談した。結局は、面接官の一言を信じ、悩んだ末、合格を辞退した。

 ちょうど、その頃だったと思うが、新しく課長として配属された人に、最初から露骨に嫌われた。今から思えば、当然である。仕事もせず、学生気分が抜けないかわいげのない部下を気にいる上司はいない。評価も最低評価だ。本社同期には、海外赴任を経験する人間が何人も出始めていた。ジョブローテーションもあるようだ。私は、完全に、蚊帳の外である。その時に完全に例の”スイッチ”が入った。それまでも、何社かに応募はしていたが、今度こそ、本気で、転職したいと強く思った。