あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

6社目② 50代中半

 このような生活が、数年、続く。苦労しながらも、自分の立ち位置をつくることができ、周囲も良い人が多く、プレッシャーもない気楽な立場ではあったが、心のどこかに、寂しいものが、常にあった。会社のラインには入れない。会社方針もあり、年齢的に、将来性もない。余程の実績をあげても、先は見えていた。自分より年若者が上司格となっているストレスもあった。いわゆる役職定年状況だ。自分では、まだまだやれるという気も、捨てきれないでいた。このまま不満を持ちながら楽な生活を続け、定年までいるのか、あるいは、再度、組織の中心で活躍することを目指すか。。
 結局は、後者を選択した。当時、よく言われていた「ゆでガエル世代」に甘んじたくはなかった。しかし、このような転職動機は、普通、周囲には理解されない。旧知のエージェントに声をかけるも、前は協力的であったが、今回は、反応がない。6社目を紹介してくれたエージェントも転勤していた。最大手のエージェントには、明らかに、つきあいを拒まれた。50を超える年齢、転職回数6回に加え、転職動機が明確ではない人間は、売れない。新たなエージェント探しをすることになる。過去に登録していた転職サイトに再登録するとともに、今度は、BIZREECH等新しいメディアを活用する。BIZREECHには、転職サイトの情報が集約されており、重宝した。

  今まで通り、良さそうな案件には、かたっぱしから応募し、反応を待つということを繰り返す。世間的には、好景気と言われていたが、年齢、回数、曖昧な転職理由三重苦のおっさんにとっては、非常に厳しい状況であった。しかし、1か月に1案件程度は、良さそうな案件があったため、いつかは、良い案件が来そうな気もしていた。焦る理由はないため、ゆっくりと活動を続けた。 ある程度の規模の会社は、組織に入ってから苦労が多いと考え、小規模企業にターゲットを絞り込み、何社か面談までたどり着く。が、本社を見て、愕然とすることが多かった。ある程度の見栄えの悪さは、覚悟していたが、その雰囲気は、やはり、私の許容範囲を超える会社も多くあり、それだけで落ち込んだものだ。転職回数は多くはあったが、今まで恵まれた環境の中で、仕事をしてきたことを、改めて、感じたものだ。
 ある商社案件で、社長の息子である専務と面談。経験してきた商品が違うということで、その場で、NGを出されたことがあった。そんなことは、職務経歴書で確認しとけよという気持ちもあり、また、ルール違反だとも感じたため、即座に、こちらも、経歴書の返還を要求したということがあった。写真を渡すのがもったいなかっただけなのだが、先方はかなり焦った様子であった。あるサービス会社では、面談中(最初から)、お互い、これは合わないと感じ、10分程度で終わった。あるIT企業では、面接中、ドアの向こう側で、顧客が帰社する気配と共に、”ありがとうございました!”と数人が、異常に大きな声で挨拶する様子が聞こえてき、ドン引きしたものだ。
 紹介される会社も、怪しげなものが多くなった。Webや会社調査だけでは、調べきれない。そんな時、ある銀行系のエージェントから、ある案件を紹介された。関西本社であり、商材等も面白そうで、営業の責任者であり、会社も成長基調にあるということなので、早速応募することとした。銀行系エージェントが紹介してくるという安心感もあった。
 面接は、初夏の暑い日だった。事務所の入っている立派なビルの前で、エージェントと作戦会議の後、面接に臨む。若い社長から、いきなり、「なぜこんなに転職回数が多いのか?何も問題なければ、転職はしないはずだ。」と言われた。「当然問題はあったが、それ以上に、自分の力を発揮する場を求め続けた結果だ」と応じた。転職回数の多い人間のつらさを感じる。その後、面接は、とんとん拍子に進み、結局、社長面接1回だけで、合格することになる。社長の気の短い様子に少し嫌な予感はしたが、率直な人と前向きに理解した。ネット情報等を確認すると、良しあし半々ぐらいの会社評価であった。悪く書いているものもあるが、すごく高評価な書き込みもある。ホームページも洗練されており、平均年齢も、そんなに若くない。長く働いている人もいるようだ。最後は、エージェントの評価を信じて、入社することにした。確か、この時、「ブラックではないですね?」とズバリと質問したものだ。
 5年ほど世話になった会社を辞める。何人かと飲みに行き、あらためて、良い会社だったと実感した。もし、大学卒業後直ぐにこの会社に入社していたら、楽しい会社生活が送れていたかもしれない。