あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

失業② 50代後半

 午前中は、ネットによる仕事探し、午後からは、2日に1度は、テニスで運動不足解消という生活を続ける中、1か月ほどして、ひとつ面白そうな案件を見つけた。車で30分ほどの場所にあるメーカーの営業責任者の案件だ。業界は全く未知のものであったが、迷うことなく応募した。仲介エージェントは、またも銀行系エージェントであった。が、10日間経っても、回答がない。しびれを切らし、ブラック企業を紹介した懇意のエージェントに”あなたが担当になってくれ”との趣旨のメールを打ったところ、即座に、そのエージェントから、担当エージェントにつなぐので、明日にでも、来社して欲しいとの電話があった。さすがに、ブラック企業を紹介したことには、申し訳なく思っている様子であった。
 翌日、エージェントを訪問した。この頃になると、スーツを着て、電車に乗ること自体に、かなり面倒くささを感じたものだ。担当エージェントは女性であり、この人も、なかなか親身に相談に乗っていただき、手厚いサポート
が受けられる様子であった。今回の案件は、年齢的には、先方が望んでいる範囲にはいるようで問題はなかったが、一番の懸念材料である転職回数の多さに対しては、十分なすり合わせ、対策を行った。失職中であることに関しては、女性エージェントから説明を加えることで、準備を行った。しばらくして、無事、面接の案内があった。
 この段階で、この会社も、またブラック企業ではないかとの恐怖にとらわれるようになった。休日の事務所への電話、近いこともあり、何度か足を運び、職場の様子を知ろうとも、努めた。休日に、即座に電話対応が出たのには驚き、疑心暗鬼にとらわれることになった。工場の朝礼の様子も外部から確認し、内容は5S系の話で、怒号はなさそうなことに、ホッとしたものだ。ネット情報はほとんどなく、人の良さそうな社長の顔写真は確認できたが、会ってみなければわからない。人当たりは良く見えても、いつ豹変するかわからない。そんな疑心暗鬼にとらわれる中、面接に臨む。エージェントには、この疑心暗鬼は伝えており、どこかのタイミングで、この件について、エージェントから質問を投げかけてもらうようにした。
 面接に現れた社長は温厚そうな人だった。転職回数については、全く触れられず、むしろ、”経験が豊富である”と前向きに評価されている様子であった。質問も、ほとんどなく、話を、ほぼ一方的に聞くだけで、(当然、途中、自己アピールのために前向きな意見は述べてみたが。)好印象を与えたことが、確認できる中、面接は終わった。女性エージェントにも、最後の方で、うまくこちらの懸念点を伝えていただいた。その回答には真摯なものを感じた。面接の最後で、”次回は、塞翁さんの方からの質問に回答する場にしたい”ということで、次回の面接も、その場で、決まった。
 1週間ほど後の面接にも、緊張しながら、女性エージェント同席のもと、臨む。が、準備していた質問を求められることもなく、面談早々に、採用決定の旨が伝えられる。年収提示があったが、想定をかなり上回るものであった。その後、入社日のすりあわせと、部下になる管理職の紹介、本社工場の見学が実施された。帰宅し、無事に採用が決まった旨を妻にも報告した。失業期間3か月での再就職決定であった。妻は、その時まで口に出さなかったが、このまま仕事は決まらないのではと、暗澹たる気持ちになっていたとのことだった。
  3か月の無職期間を通じ、あらためて、無職という状況の精神的負担の大きさを感じた。私は、まだ、高年齢で、
経済的不安も少なかったので、まだ良かった。あるエージェントの「無職になると、まず精神的に参ってしまう人が多いので仕事についたままで転職すべき」とのアドバイスにもうなづける。それと、転職の恐ろしさだ。結局は、運が左右する。能力も重要かもしれないが、それ以上に出会いの運が大事だ。運に恵まれないと思った時に、どうリカバリーするか、考え方を切り替え、運に甘んじるか。。おそらく、今後は、後者を選択していく人生になりそうだと感じた。8回も転職したら、リカバリーも何もない。どこの会社の出身かという概念もない。結局は、すべて含めての私の人生だったのだとの思いである。