あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

1社目①

 迷いながらも入社を決めた会社ではあったが、入社当初は、一生お世話になるつもりだった。半年間の新入社員研修を終え配属されたのは、関西ではあったが、通勤に1時間半以上かかる本社からは離れた事業所だった。文系で配属されたのは私1人だった。当初は、関西に配属されたことに、安心感を覚えたものだ。配属された初日に、事業所人事から、”こんなとこ嫌だろ?”と、いきなり言われ、最初の違和感を感じた。その後、数週間たった頃だろうか、事業所NO2常務に、”こんなとこ長くないから、勉強だと思い我慢しなさい”と言われ、そんなに変な所なのかと思うと同時に、上は、見ていてくれているとうれしく思ったものだ。
 初めての職場は、最悪だった。とにかく、朝から晩までやることがない。今でいう、放置プレーである。購買、予算部門だったので、周囲は、終始バタバタしている。一方、私の机の上には、書類さえないという状況だ。直属の課長は、本社から左遷されたとのうわさのダメ親父風定年間際の人だった。2週間ほど我慢した後、意を決して、課長に直訴した。”仕事くれ”と。しかし、驚いた様子をみせただけで、豆腐にくぎ状況だ。数カ月経った頃だろうか、社内SEをしている先輩のお手伝いでもしたらということで、プログラム開発の研修を受けた。が、その後も、仕事はない。社内システムは先輩ひとりで、十分運用ができており、私のからむ余地はない。年に6回ほどある予算時期に、先輩女性のお手伝いをする程度の仕事しかなかった 。当時は、PCなどで仕事をするふりもできず、コンピュータルームに一日こもり、プログラムを作るふりをするしかなかった。時々、ワープロを打ちにくる秘書の女性と長話をすることだけが、唯一の癒しとなった。(この人が結婚退職する時、初めて、喪失感というものを知った) ある日、試しに近所の喫茶店で1時間ほど時間潰しをした。戻ってきても全く周囲は気づいた様子もなくホッとすると同時に、寂しい気持ちになったのを今でも思い出す。
 そうこうしながら、半年ほどたった頃、新入社員研修に、先輩として参加しろとの指示があった。当時の私としては、暇な人間を選んだのかと憤り、当然のごとく、その話を断った。すぐに、事業所人事から呼び出され、最初はやさしく説諭され、結局は、”お前は、自分の仕事は自分で選ぶのか? ここから出ていけ!”と怒鳴られた。逆に何か捨て台詞を残して、部屋を辞したものだった 。結局、直属の課長が、かわいそうになり、話はうけたが、事態は最悪の状況に向かっていると感じた。後に、その事業所人事は、本社人事部長に栄転する。いつも私の同期に、私の悪口を言ってたらしい。
 長年、この当時の状況を、事業所人事の言葉もあり、自責と捉えていたが、今の私でもどうすれば良かったか解らない。毎朝、車窓に見える機械メーカー本社を後悔の念で見上げたものである。