あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

3社目① 40代前半

 10年以上勤めた会社を辞め、久々に、もう経験すると思わなかった転職をすることになった。出社初日の朝、緊張する中、直属の部長に引き合わされた。まず最初に、なんとも言えない”のり”の軽さを感じた。が、これは、つきあい安い人というふうに、前向きにとらえることとした。部長は、10分ほど、会話した後、時間がない様子で、出張に出かけ、その後、数日、帰ってこなかった。席だけは、決まっていたので、やることがない中、まずは、PCの設定、サーバ、イントラネットへのアクセス、を行い、とにかくは、社内の事を知る事に、時間を費やした。
 私を面接してくれた人は、私の上長ではなかった。結局、この人とは、1回も顔を合わせることはなく、一度、会社の前で、すれ違ったが、挨拶もできないままに終わった。転職では、採用してくれた人との関係が大事だ。入社後、採用してくれた人とうまく仕事ができた場合、成功確率が高い。今回の転職は、この点でも悪い状況だった。そもそも、40代にもなって、自分が、どんな立場で、どんな職場に入るのかを確認せずに、入社したのは、かなりの軽率さだったと感じる。
 職場では、招かざる客だった。何をしたら良いか、相談に乗ってくれる人もいず、全く、仕事がない。担当業界だけは決まっていた(当然、成果が上がりにくい業界だったが)ので、業界担当の営業に挨拶、まずは、”なんでも手伝いますよ。”というところから、関係を作っていくことにした。そのうちに、複数の営業マンとは、人間的に仲良くなり、仕事するフリはできるレベルになってきた。職場では、Sさんという年輩の人が声をかけてくれ、色々教えてくれた。当時、この人と雑談することが、唯一の気晴らしであった。
 入って、1か月ほどで、2週間ほどの営業研修があった。研修自体は、すばらしいもので、それまで、経験と勘でやっていた営業活動を理論的に体系的に理解できたことは、その後の仕事に非常に役立った。研修の初日、仲良くなった男と駅まで帰る道すがら、彼は、”僕は、もうこの会社を辞めようと思っている”ということをいきなり言ってきた。彼は、海外MBA出身で、この会社が3社目、6か月程経過した時点だったのだが、仕事内容が気に食わないのか、完全に、辞めることを決めている様子だった。鬱病をわずらっており、会社のクリニックで薬をもらっている。既に、何社かあたりをつけているということも、あっけらかんと話してくるのには驚いた。彼とは、その後、何度か飲みに行き、相談しあう間柄となった。結局、彼は、会社を辞め、金融系会社を何社か経た後、経営コンサルタントとなり、今は調子よくやっている。ように見えるが、おそらく、悩みながら、仕事をしていると推察する。
 私なりに苦労し、会社に溶けこもうと努力したが、結局できなかった。今までの人生の中で、嫌いな人間をあげると、ほとんどが、この時代に知り合った人間となる。それぐらい、この会社とあわなかった。。会社自体、変革期にあり、昔の古き良き時代の雰囲気がなくなり、外資の色合いが強くなってきていたこともその要因だろう。上層部には、昔ながらの人格者、仕事もできる方がいたが、次第に、力を失いつつある状況だった。直属の部長に、3か月ほどで、目をつけられ、毎週の会議などで、つるし上げにあう場面が多くなった。今まで、そのような事を経験したこともなく、転職間もない人間には、非常に追い込まれた精神状況となった。ちなみに、つるしあげに合う人間は、決まっているのだが、定期的に変わる。周りの人間は、ターゲットからはずれるとほっとするという具合であった。
 初めて感じる孤独感であった。それまでは、会社=自分の組織という感覚で、どこか会社に頼り、甘える自分がいたが、これ以降、この感覚は消えた。仕事の方も、嫌いな人間達に囲まれた、やらされ感のある案件が多くあり、常に追い込まれた精神状態であった。鬱病の人間が周りに多いことにも気付いた。職場で私によく話しかけてくれるSさんも、薬の処方を受けていた。隣席の男も、鬱病で、長期療養をせざるを得ない状況となっていた。
 そんな中、あの”スイッチ”が入る。今回は、こんな会社から逃げようという完全に負の理由からである。40代にして4回目の転職、しかも、管理職経験はない。。かなりの困難が予想された。前回成功時のように、HPチェック、今回は、転職エージェントへの登録も行った。が、やはり、反応がない。時々、面接に至る(案件も今ひとつその気にならない)も、1次面接も突破できない。今から思えば、2社目海外部門時代から3社目までの5年(最終的には7年)ほど、仕事の成果なく、自信を持って、自分の職歴を説明できず、さらには転職理由も曖昧、うまくいかないのは、当たり前だ。転職もうまくいかず、会社でも追い詰められ感がある。自分のキャリアを描くことができず、もがき苦しんだ時期だった。