あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

失業① 50代後半

 失業生活初日は、妻と前から約束していたテレビ局の公開録画会場を訪問した。テレビでよくみるタレント達を見ながら、失業者が昼間からこんなことをしていて良いのかと、心配になったものだ。
 失業が決まると同時に、前から懇意としていた会社の社長と相談し、場合によっては、個人事業主として営業契約することにした。しかし、これは、あくまでも最終手段で、基本的には、どこかの会社に入ることを目標とした。
 ブラック企業在職中に、面談が決まっていた2社と面談する。どちらも、面接は問題なく切り抜けたのだが、”塞翁さんは、飽きしょうか?”と、ずばり、質問され、対策通りの回答を返すも、結局は、納得させることはできなかった。最初から、偏見を持たれた面談には、非常に厳しいものを感じざるを得なかった。
 しばらくして、ハローワークを訪問し、失業手当の申し込みをする。3か月以内に次を決めれば、失業手当を満額もらえる制度があるということで、これは、転職活動の励みとなった。
 何もない時にでも、午前中は、ネットによる仕事探し、1日1件以上の応募を目標とする。午後からは、2日に1度は、テニスで運動不足解消をするという生活を続けることになる。この生活は、精神衛生上も良く、このままづっと続けても良いような気になったものだ。
 そのような生活が続く中、テニスの休憩中に、ブラック企業を紹介した銀行系エージェントのひとりから案件紹介の連絡が入る。ネット上では、チェック済で、今一つその気にならなかったものだが、せっかく紹介いただいたのだからということで、案件を前に進めることにした。エージェントは、クセのある人ではあったが、かなり、親切に、先方の情報をくれ、面接アドバイスも念入りなものであった。社長+重役の面接が、2回あった。2代目社長で、頭でっかちの印象はあったが、悪い感じはしなかった。こちらも、ブラック企業に、かなり過敏になっており、色々な角度から質問を行い、不安を払拭していく努力をした。車通勤はできるが、1時間かかる、が、営業の責任者であり、扱う商材も全く知らないものではない。ホームページは、ブラックによくある雰囲気を醸し出してはいたが、面接時の雰囲気ではなんとかなりそうな気もした。もし合格がでたら、入社しても良いかなと思った頃、社長と1対1の会食がセットされた。これが、最終の面接になると思われた。エージェントと再度の打ち合わせの後、会食に臨む。
 緊張を隠しながら会食に臨んだ時に感じた社長の印象は、昼間の印象とは違い、かなりしょぼくれたイメージのものであった。最初から、話題は、会社の愚痴だった。そのうちに、酒量の話になり、私もかなりのものだが、先方は、それをさらに超えるものであった。先代が亡くなり、社長になってからの習慣であるようで、あげくのはてに、”この前、日中に、白日夢を見ましてね。。”というようなことまで、語りだす。何か”落ち”があるのかと思ったが、ない。完全に、酒に飲まれている男のそれだった。会食は、2次会まで、同じような状況で続く。最後に、”こんな会社で良かったら、入社してくれ”と言われたが、私の方は、完全に、酔いが醒めた状態だった。酒に酔ったフリをし、怒号の有無を聞いてみると、”もしかしたら、私の会社も同じかも。。”とのことだった。エージェントは、もう1回会って入社有無を判断しろとの意見であった。懇意の年輩のエージェントは、”辞めたほうが良い。二次会までいくのは、面談ではなく、自分が行きたいから行ったのだ。”との意見だった。この案件を逃すと、もう次はないかもしれない、ある程度で妥協は仕方ないとも思ったが、今度、ブラック企業にはいったら、それこそ、終わりであるという恐怖から、結局、本案件は辞退することとした。
 しかし、転職は怖いものだ。もし、社長との会食がセッティングされていなかったら、かなりの確率で、私は、2回連続で、ブラック企業にお世話になったことになる。