あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

2社目③ 30代半ば

 7年が過ぎた。多くの思い出深い仕事を経験し、失敗もしたが、多くの実績を上げることもできた。人生で一番の天狗の時期だった。その頃、管理職一歩手前の資格への昇格試験を受ける候補となった。私としては、昇格して当然という気でいた。が、そこに、異変が起こる。
 事業部トップが定年退職で交代する中、新しい事業部トップは、かなり自分流を打ち出すワンマンな人であった。今までの事業部のやり方を変えようと、上層部の大胆な異動と評価基準の変更を行った。一転、昇格試験に苦戦することになる。結果は、昇格見送り。所属部長からは、”年齢構成もあるので、1年待ってくれ。1年後は私が保証する”との言質を得た。が、その1年後、私は、候補にもならなかった。所属部長も、異動となり、新しい部長と私は、全くそりがあわなかった。転職しようとは思わなかったが、この職場にはいたくないと、強く思った。
 その頃、社内異動の公募が積極的に行われており、公募要項を見ると、当時の私の経験とスキルを活かせそうな案件がある。問題は、海外部門ということで、英語が必須となる。当時、TOEIC400点そこそこの実力しかなく、かなりの懸念材料であったが、天狗であった私は、なんとかなるだろうと、ここも楽観的に考え、応募をすることにした。当時、応募は、事前に、上長に知られることとなっており、新しい部長には、かなり脅された。が、怯まず、面接を受けることとした。
 休日に面接が開催された。7名ほどライバルがいたようだ。面接自体は、問題なく進む。特に、後に、上長になる部長に気に入られたようで、かなり良い感触であった。懸念点の英語についても、入ればなんとかなるとの話だった。結果は、合格だった。実質的に、2度目の社内転職である。
 まさか去ることになるとは夢にも思わなかった職場を後にするのは、かなり寂しかったが、次は、海外という新しい世界が待っていることもあり、楽しみでもあった。今ならわかるが、私は、この時点で、この会社での負け組が決定したと思う。ある程度大きい組織では、昇格や仕事ができるということ以上に、組織に馴染むということが重要である。30代半ばになって、新しい組織に入るのは、非常に危険な賭けであった。また、昇格ということを考えた場合にも、さらに、少なくとも2年は、遅れることになる。このような思慮の浅いところ、あるいは、根拠のない自信が、転職回数を増やす原因となったと思われる。