あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

7社目① 50代中半

 ゆでガエルになりたくないという気持ちで臨んだ転職であった。初日、9時就業開始のところ、8時20分に、出社ということで、7社目の会社生活が始まった。会議室に通されると、後に部下になるS君が既に出社していた。その後、これも部下になるE君、そして、経理の女性が出社してきた。皆、真面目そうで、雰囲気は、悪くない。8時50分、全社朝礼ということで、TV会議と事務所の皆が集まる形での朝礼が始まった。その中で、私の上司が紹介された。たしか、私の直属の上司は、社長だったはずだが。。。まず、ここで、軽く衝撃を受けたが、まずは、状況を把握しなければならない。しかし、不信感と不安が沸き起こるのを抑えることはできなかった。
 その後、9時過ぎから、TV会議越しであるが、東京の営業部隊への挨拶を行う。TV会議室に入室して気になったのだが、私たちは、営業会議中に割り込み、挨拶をしたようで、どうも、その会議は、かなり早くから行われており、ここでも、少し嫌な予感がした。実際に、次週から参加必須となったのだが、その会議は、毎週週初めに、朝7時(時には、6時30分)から行われているものだった。社員の雰囲気は、一様に、真面目そうで、良い感じであったのが、第一印象であった。
 その日から、2日間、社長直々に、研修が行われた。商品や業界を学ぶということなのだが、社長の気の短さが、十分感じられる、かなりのプレッシャーがあるものだった。部下のE君などは、いきなり降られた社長の質問に”わかりません”と答えたところ、いきなり、”わかってないのか、考えてないのか、どっちや!”と厳しく怒鳴られていた。これは、後日、常に、彼をからかう時の常套句にはなったものだが。。。とにかく、気の休まることのない時間だった。途中、休憩時間に、トイレに行ったのだが、個室にいると、突然、ある営業が、”塞翁さん、社長がお呼びですので、すぐ来てください”と大声で、外から叫んできたのには、驚いた。その日は、昼から、研修の一環として、顧客工場の見学を、その日に入社した4人で行い、現地での解散となった。帰り道、経理の女性が、”面接したその日に入社が決まった。この会社は、ブラックではないか?”と、訴えると、他の人間も同じ感想を持っている様子だった。上司格の私としても同じ感想を持つ中、不安がつきない初日であった。
 2日目の朝礼。営業マンの報告に対して、容赦のない社長のいきりたった罵倒が発せられた。以後、この会社で、朝夕聞く、罵倒の始まりだった。そのうち、仕事の内容がはっきりしてくる。新人2人をつれての新規開拓が、私のミッションになるようであった。面接時には、新規は、ほとんどないと聞かされていたため、ここも、聞いていた話と違う点であった。
 研修の一環ということで、1か月間の既存営業マン達との同行営業が始まった。罵倒にまみれた朝礼の後、社用車で、顧客回りを行う。そこで、営業マン達から、会社の実態を聞くことになる。なにげなく、休日の話になったが、話がかみ合わない。この会社は、土曜日は、休日なのだが。。聞くと、その営業マンは、土曜日は、休んだことがないようだった。やることがなくても出社するとのことだった。平日も終電近くまで残っており、長い間、日曜日以外、家族と、晩飯を食べたことがないとのことだった。理由を聞くと、営業は、そういう習わしになっていると、寂しそうに言う。他の営業マン達も異口同音に同じ状況であり、”試用期間が明けると、塞翁さんも、そういう状況になる”ということであった。
 1週間も経たないうちに、これは今までにないまずい状況になったことを悟った。なによりも、朝夕の罵倒を聞くのが、堪えがたかった。今は良いが、そのうちに、自分に降りかかることが容易に想像された。仕事も、新規開拓オンリーであり、業界顧客名簿からの飛び込み営業である。実際に電話をかけてみると、そこは既に、過去の営業マン達が、電話をかけ尽くしており、業界では悪名高い押し売りの会社との評判で、アポを取るのも容易でない状況であった。会社の売り上げは、一部の優良顧客からの定期収入で賄われており、そこは古株の営業マンが手放さない。新しい営業マンは、何度も同じ場所に突撃しては、散り、1年以内の短いサイクルでやめていく。会社の年齢構成が比較的高いのは、この会社の風土に慣れたベテランが、各部署に残っているからであった。案件を紹介してくれた銀行系エージェントには、早速、状況を伝える。何かあれば全社的に、サポートするという言葉は得たが、今更言われてもとの思いで不安はつきなかった。