あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

7社目② 50代中半

 当初は、次社が決まる前の退職は、ありえないと思っていたが、それ以上に、日々追い込まれた気分になり、そのうちに、睡眠も不十分になり、このまま長くいても意味がない、直ぐに辞めたいと、あっけなく、例のスイッチがはいった。たまたま案件の多い大手の懇意のエージェントから帰宅時に電話があり、明日にでも辞意を伝えようと思っている旨、伝えると、”できるだけ長くいて、給料もらいながら転職活動を続けるべきだ”との意見であり、次の日の退職報告は、とりあえずは、思いとどまった。今度の転職は、給料、業種等思いっきり範囲を拡げるしかないと決意、早速、サイトに再登録をした。懇意のエージェントにも、すべて、連絡し、支援を要請。あるエージェントには、この程度のことを辛抱できないのなら、どんな会社行っても同じだと、痛烈に非難された。状況わからず非難する前に、会社紹介しろよと強く思うと同時に、暗澹たる気持ちになった。昔から懇意の年輩のエージェントにも、”こんな事例はよくある。よく確認しなかったあんたが悪い”と言われたが、親身に相談にのっていただき、以後、心の支えになった。ブラック会社生活の中での転職活動は、精神安定に一定の効果があり、それだけを頼りに、会社に出社し続けた。
 この会社には就業時間等、目に見える表面的な問題以外に、多くの問題が存在した。営業活動は、基本、車で行うのだが、皆、車の運転が荒っぽい。当時、3名ほどが、スピード違反等で、免停になっていた。私が在職していた間だけで、4、5件の車の事故があった。軽い接触や人身一歩手前などには、何度も遭遇した。直ぐに、その理由がわかった。私自身、運転する機会があったのだが、睡眠不足と情緒不安で、運転が荒っぽくなっていくのだ。
実際、多くの営業マンは、客先周りの途中、車の中で、寝ることを日課にしていた。時には、1時間以上も。
数年前、入社したばかりの若い男が、150キロのスピードで、高速道路で大事故を起こしたことがあった。その彼は身体に障害を負ったとのことだった。また、ベテランの営業マンの中には、事故で、相手に障害を負わものもいた。このような話を聞き、荒っぽい運転席の横に座るのは、恐怖以外なにものでもなかった。生まれて初めて、生命の危険を感じながら、仕事をすることになった。
 業界特有の客先工場でのアレルギー症状にも悩まされた。花粉症も発症してないのに、目や鼻がむず痒くなる。
そういえば、周囲も、変な咳をしている人間が多くいた。
 営業マンは1人では行動できず、2人以上での行動が義務付けられていた。1人では、何してるかわからないということで、監視目的でのルールであった。
 部下2人とよく同行営業をしたのだが、2人も時間をおかず、会社への恐怖を話すようになる。経理の女性は、一旦は、辞意を表明したらしいが、結局は、ずるずる残っているとのことだった。管理部門も、当たり前のように、タイムカードを切った後に、夜遅くまで仕事をすることが、常態化していた。会社の人たちは、皆、最初の印象どおりに、一様に、感じが良かった。が、表情がない。このような環境に文句も言わずいる姿に、薄気味悪さを感じたものだった。
 月曜日の朝一の営業会議は苦痛以外ないものでもなかった。始発に近い電車で出勤、意味のない会議の途中で、社長が乱入し、怒号を朝から聞く。
 朝の罵倒を聞いた後、直ぐに、客先周りに出発、夕会が終わったころを見計らって、帰社というパターンを続けた。睡眠不足と情緒不安はどうしようもなく、試用期間での退職を決意、社長に辞意を伝える。かなりの恐怖を感じる辞意であったが、その後、精神的なつらさは、かなり緩和された。後は、失職期間を短くするために、一刻も早く、転職先を見つけることだった。試用期間中の退職ということで、会社から私を紹介した銀行系エージェントへ、不良品を押し付けられたと猛烈な抗議があったようで、金銭問題も発生したとのことである。”この会社に二度と人を紹介してはいけない”との私の強い意見も効果があったのか、エージェントは、その後、取引を停止したとのことだった。
 転職活動は、業界、給料等、範囲を拡げた事もあり、意外と案件が多くあった。面接まで至る案件も出だした。その頃、精神状況のせいか、年齢のせいか、通勤がかなり億劫になっており、ビジネスマン生活の最後は、車通勤をすることを強く希望するようになった。自宅から近距離にある会社には、かたっぱしから、応募した。
 そんな中、自宅から車で20分の距離にある会社がみつかり、応募、面接にたどりつく。うまくいけば、試用期間内での転職が成功すると考え、意欲十分で臨んだ当日は、病欠を理由にし、ヒヤヒヤものだった。ちなみに、営業は、年休が十分にある人でも、病欠であっても、休むと欠勤になるしくみであった。。。
 面接は、社長と1対1のものであった。つつがなく終わりホッとしたものだが、先方からの質問がほとんどなかったのは気になった。時間を延ばすために、こちらからの質問を受け付けているイメージだった。2週間ほど待たされた後、結果はNG。完全に失職が確定したかなりショックな結果であった。
  そうこうしているうちに、地獄のような日々も終わり、最終出社日がやってきた。ここまできたら、不安や焦りはなく、ただこの地獄から脱出できることに安堵を覚えるのみであった。当日、私の部下のE君が、突如、首を伝えられた。即日首のパターンには、初めて遭遇した。もう1人の部下であるS君も、1か月後に辞めることになった。ちなみに、私たちが退職した次の日に入社した若い男は、2週間で辞めたそうだ。