あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

8社目 50代後半

 失業期間3か月を経て入社した会社の懸念点は、実はこの会社もブラック企業ではないかという疑心暗鬼であった。入社後、周囲複数人にヒアリングするも、その兆候はなかった。むしろ、それは、まったりとしたホワイト企業そのものであった。遅刻や早退も自由、年休も取り放題、社長には、皆、好き勝手に、文句を言っている。給料も、規模の割に良く、むしろ、業界の好決算に支えられ、年に数度、特別賞与がでている状況だ。
 一方、生産現場の残業と休日出勤は状態化しており、これが、この会社の一番の問題点のようだ。休日に電話応対にすぐに出たのは、休日出勤を常態化しているの人のようだった。ブラック企業の定義は色々あるが、一言で言えば、”辞める人が多い”ということにつきる。そういった意味では、生産現場の人の出入りは激しく、一般的にはこの会社は、ブラック企業なのだろう。しかし、私の周囲の職場環境は、ホワイト企業そのものだった。
 年功序列が守られており、部門では、私が一番年上となっており、変なストレスもない。営業の日々の業務サポートやクレーム対応は、部下である管理職がやってくれる。私のルーチンワークとしては、ハンコ押しぐらいである。出張もないため、暇を持て余すことが、唯一のストレスである。これについては、しばらくして、各種の情報システム導入や業務コンサルタント(旧知のコンサル)のサポートなどの仕事をつくり、営業の仕事とは言えないが、適当な暇潰し道具となっている。本来一番やりたい新規開拓だが、自由にはできるのだが、新しい商材、新しい顧客ということになると、一筋縄ではいかず、昔の人脈を使い、細々とマイペースでやっている状況だ。一方、会社全体の業績は絶好調で、新規開拓営業がメインだった時の様に、営業報告とセットに言い訳を用意する必要もない。”数字は、7難隠す”というわけで、数字報告で、報告は、終わりになる。仕事後、車で30分で帰宅。風呂入って、酒を飲んで良い気分になった時点で時計を見たら、まだ19時台。そんな毎日だ。
 仕事でのストレスが減ると同時に、今度は、私生活のストレスの重要度が増す。親の介護や娘の進路、友人の不幸、、人間とは、悩みのつきないものだ。もし転職しない人生ならどうなっていただろうとの”煩悩”には、未だに付きまとわれている。そのうち、気は変わるかもしれないが、会社に対して、何か貢献できたと思われた時点、2年以内ぐらいで、辞めようと思い始めている。
 仕事を辞めて、何をするか? また、大学にでも戻ろうかと、そんなことを考えだしている日々だ。