あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

就職前夜①

 80年代半ば大学4回生当時、まだバブル前夜であったが、少なくとも、私の大学学部の就職率は、ほぼ100%近い状況だったと記憶している。ただし、皆が自分の希望する会社に入社できたということはなく、私の友人達も7割が満足、3割は不満を持ちながらの就職だった。残念ながら、私は後者で、その時の心境も、後の転職回数に 、大きな影響を与えている。30年以上たった今でも、”もしあの時、あの会社に入社していたら。。”という妄想はぬぐえず、今でも時々、入社するはずだった会社のホームページのチェックをすることがある。
 私の時代、4回生夏

 

休み中には、内定を獲得する必要があった。その後、10/1の就職解禁日を迎えるのである。当時、私は、重厚長大メーカ等、どっしりとしたイメージの歴史と名前のある会社を希望していた。そのようなイメージだけ、しかも、特に何の取柄もない内気で口下手な学生の就職活動がうまくいくはずもなく、最初から苦戦した。希望していた重厚長大メーカや銀行等は、初回先輩訪問で撃沈。ここで、そもそもそんな会社達、性格的に向いてないことに気づく必要があっ たが、その分析もしなかった。やりたい事と言えば、”新規事業に関わりたい”といったイメージだけ。ビジネスマンにとっては、成功確率の低いリスクの高い仕事との認識もなく、そもそも、企業からみれば、なぜこの企業に入りたいのかが、疑問となる回答だった。。
 2社ほど、公共企業で希望に近い会社の2次面談に進むも、撃沈。入りたい理由が曖昧で、その意志を明確に示すことのない人間を有力企業が欲しがるはずもないのは、今になってわかる。(一次試験に通ったのは、なぜか面談者に気に入られたことと優の数からだと推察)。周囲の多くに内定が出だす一方、全く進まない活動の中、かなり焦り始めていた頃、たまたま関西機械メーカーの10歳ほど上のゼミの先輩と称する人 から電話あり面接、その後、やはり学部の20歳ほど上の課長職にも会わせていただき(食事で雑談のみ)、あとは、トントン拍子に人事部長、役員の面接に至り、無事合格となった。この時は、縁のあった会社なので、このまま一生ここで働こうと思っていた。歴史、安定、社会貢献、学閥、思えば、自分の希望のすべてを満たしている会社の気がしていた。