あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

2社目② 20代後半

 その後は、人事の言葉を信じて、我慢の毎日だった。1日1日が、ただ無難に過ぎるのをただ待つだけの毎日だった。3月の初めだったか、直属の上司に呼ばれ異動の話がある旨を伝えられた。まだ決まっていないような口ぶりで、どうするか選択しろとのニュアンスだった。内心ほくそ笑んだが、表面には出さず、神妙なふりで受け止めた。同時に、頭ごなしに人事に話をつけたことを厳しく批判された。そんなやり方は、この会社では通用しないと。部長からも同じ形の批判を受ける事になったが、全く動じることはなかった。むしろ、新しい職場への期待で胸が膨らんだ。もしかしたら、この時の異動が、今までで一番うれしかった異動かもしれない。この後も、会社主導の大きな人事異動の経験はないが。
 4/1、営業本部に異動した。同日、別支店から異動してきたMさんとともに、SE営業が集まる部門に配属された。相変わらず、最初の挨拶は緊張でたどたどしかった。
初めての営業部門は、新鮮だった。数字が全面にでてくることもあってか、会社と仕事の繋がりが見えて面白い。皆、”報連相”がしっかりしている。それまでは、なんといいかげんな仕事の進め方だっただろう。マイナス面としては、職場の雰囲気が、なんとなく柄が悪い。女性の前で、平気で下ネタをしゃべる人は、それまで見た事なかった。(数年後、自分が溶け込んでいることに気付いたが。。)
 仕事の方は、手探り状況ではあったが、Mさん(なぜか、他の若手には嫌われていた)と直属上司が手取り足取り教えてくれる。それまで、名刺も持ったことなかったので、Mさんには、既に、20代の後半だったにもかかわらず、お客様との名刺交換の方法から教えてもらった。常に客先同行し、勉強の毎日だった。直属上司にもお世話になった。客先に同行し、基本的な仕事の進め方を教えてもらうとともに、同じ転職組ということもあってか1人立ちできるように、色々便宜を図っていただいた。”塞翁くん、仕事はゲームと同じだよ。死ぬことのないゲームだから、楽しめばいいんだよ”バブル時代の余裕からか、そんな仕事観を常に、話してくれた。私にとっては、初めての上司らしい上司だった。
 とにかく、色んな業界の色んな客先を訪問することが楽しい。基本的に、訪問するのは新規のお客様なので、失敗のしようがない。
ある時、ある公共企業に、何かシステム提案しようという話が持ち上がり、公共企業の現場を3か所ほど見学後、私が、あるシステムを提案書にまとめることになった。見よう見まねで提案書をまとめ、先方係長に対してプレゼンした。”これ誰がまとめたの?すごくセンスあるね!”初めて、お客様に褒められた言葉は今でも忘れられず、自分でもなんとかやっていけるのではと、大いに自信になったものだ。先方課長クラスには、興味も持ってもらえず、話は直ぐに頓挫したが。。仕事の厳しさは知らず、ただ、上司、先輩に守られながら、仕事を楽しんでいる何の責任感もない遅れて来た新入社員のような生活だった。酒の楽しさもこの時期、覚えた。

 初めての転職は、成功に感じられた。少なくともこの時代の仕事経験が後の転職人生に”役立った”ことは事実だ。やはり、成功体験を持つ者の強みは感じる。そんな感じで、7年が過ぎた。結果的に、一番長くいた職場となった。