あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

5社目① 40代後半

 入社1か月ほどは、東京本社にて、営業同行等を行いながら商材を学ぶことになっていた。その間、関西の拠点を整え、立ち上げの準備をする。同じ日に、自分より年輩の開発者が入社しており、なんと、6社目の会社になるということで、驚いたものだ。入社初日に、営業会議なるものがあり、見学気分で参加した。皆、そこそこしっかりしており、人間的にも悪いものは、感じなかった。が、会議の内容を聞いて驚いた。参加者は、自分の手持ちの案件の話をするのだが、ほとんどが、曖昧で、確度が低いものばかりであった。売上が目標数字に大きく届かないことが容易に推測された。”これは、えらい会社に入社してしまったかもしれない”と感じたものだ。上場企業の子会社のため、その経営状況までもは、確認できず、社長、取締役の楽観的な話を信じるしかなかったのである。その後、酒席にて、社長に、何度か本音ベースで、経営状況を確認するも、いつも楽観的で、時には、”M&Aなんかも考えている”といった景気の良い話ばかりであった。今考えると、社長自身、いわゆる外資ゴロ化しているので、根本的に性格が”いいかげん”だったのだろう。その後、問題を起こし、解任された後も、相変わらず、2、3年に1回のペースで、経営層を渡り歩いているのには、驚かされる。なぜ、雇ってくれる人がいるのか? そして、なぜ、2、3年しか続かないのか? 今だに、謎が多い。
 研修が終わり、関西に戻る。初めてのワンマンオフィス暮らしである。このオフィスを、大きくしていかなければならない。まずは、代理店づくりから開始ということで、前職で関係のできた会社に声をかけると、早速、数社が、その気になってくれた。商材はわかりやすく、出だしは順調であった。そんな所から、仕事を増やしていった。ワンマンオフィスは気楽だと思っていたが、仕事がある時は良いのだが、暇な時は、本当に気が滅入った。周りに話し相手がいない分、不安になるのである。よく、暇つぶしに事務所周辺をぶらつき、気分転換を図ったものである。一人ランチも、最初は、気ままで楽しかったのだが、一人で行きやすい店には限りがあり、最後は、常に、事務所にてテイクアウト弁当ということが多くなった。仕事の方は、商品がわかりやいこともあり、割合に短期間で、自分で開拓した代理店に加え、元々あった西日本エリアの代理店の仕事を加え、なんとか仕事をしている感じになってきた。自由に、新規開拓を仕掛け、苦しみながらも、新しい仕事を楽しんでいた時期であった。
 入社半年が経過した頃、社長が、突如、解任され、取締役が、社長に昇格した。同時に親会社が事業撤退するという話が、しきりにでてきた。その頃わかったが、この親会社は本業が長期停滞する中、新しいことに手を出しては失敗し撤退するということを繰り返していたようだ。事業計画は到底達成できるものではなく、親会社から経理担当の取締役が派遣され、経費の切り詰めが一挙に厳しくなった。私の仕事の方も、売上を上げる以上に、品質トラブル処理と売掛金の回収に追われる日々となった。元々あった西日本エリアの代理店の質が悪く、経理担当の取締役からの追求も、個人的なものにも及ぶようになってきた。おそらく、私を辞めさせたかったのだろうと推測する。転職し、1年も経たなかったが、例のスイッチが入った。会社の将来性はない。トラブル処理にはあきあきした。さらには、パワハラ。3重苦から脱出しようと。