あるジョブホッパーの軌跡

7転8起の人生

4社目③ 40代後半

 久しぶりで、50近い年齢になってはいたが、転職については、当初、楽観視していた。マネジメントの実績を、買ってくれる会社があると思っていたからである。今度こそ、一から出直し、定年まで働ける会社を見つけたいという思いであった。さすがに、ホームページからダイレクトの応募は厳しいと思い、エージェント案件ねらいで、多くのエージェントに登録することとした。名だたる転職サイトにも、すべて、登録し、良い案件あれば、ダメ気味でも申し込みを続けた。数打てば当たる作戦である。
 複数の大手のエージェントともコンタクトがとれ、それなりに、案件紹介がくるようになった。何人かのエージェントとは、懇意となり、その後も関係が続くようになった。しかし、今一つ、その気にならない案件ばかりであった印象である。おそらく、自分のことを過大評価した結果、背伸びをした希望となっていたのだろう。また、この頃、景気が、そんなに良くなかったということも影響していたのかもしれない。ターゲットの業種、職種を拡げ、最後には、勤務先についても、関西にこだわらず、探すことにした。が、なかなか良い案件に出会うことは、なかった。たまたま見つけた良さそうな案件も、書類でアウト、面接も、今一つうまくいかなかった。年齢に加え、転職回数の多さ、さらには、辞める理由が納得させられるものでなかったのが、その理由だろう。転職回数が多くなってきた時、辞める(た)理由は、重要である。ここが相手に納得させられないと、話は、そこで止まってしまう。
 上層部からの圧力が強まり、精神的にも追い込まれ、次が決まる前に辞めようかと考えだしていた時、昔から懇意にしている個人エージェントから、案件の引き合いがきた。創立半年ほどの上場会社の子会社で、東京本社ではあるが、成長が確実で、これから西日本営業所を立ち上げるにあたり、そこのトップを求めるという案件であった。業種、商材的にも、それまでの経験が活かせそうだと感じ、早速、応募することにした。
 最初は、NO2の取締役との面談を、喫茶店で行った。私より、3歳ほど若かったが、会った瞬間、気にいってくれたようで、面接というより、情報共有に近い雑談であった。過去の経歴も、私と似たところがあり、ある意味、意気投合した感じである。その後、2週間ほどし、今度は、社長とホテルの喫茶店で、面談を行う。私とほぼ同じ年であるが、それまで、複数社を経営者として渡り歩いてきたということで、外見からしてバブルの匂いがする人であった。実際に、外資系を何社も渡り歩き(2、3年毎!)バブル時代は、車を複数台保有、近くの高級ホテルの駐車場に車を停めていたことがあるという人である。私とは、比較にならない程の退職金を手にしているようだった。当時も、駅近の高層マンションに住んでいた。このような人には、それまであったこともなく、面接の反応は今ひとつ、つかめなかったが、無事合格した。間一髪で、無職になることを避けられた感覚であり、ホッとしたものだ。年収は、2割程ダウンとなったが、中小にしては、そこそこのものを維持しており、なによりも、今後の成長が見えているということで、将来性に期待した。
 直属の事業部長に転職の意志を伝えると「それは辞めたくなるやろな」「このご時世、転職先よく見つけたな」と、正直な感想が述べられた。どこか、おどおどした様子で、目も合わせない。私に罵倒されることが怖かったものと、推察された。部下が一人辞める旨も併せて伝えたのだが、彼とは、その後、話す機会を持つこともなかったようである。これも同じ理由からだろう。最後の挨拶の時も、昔からこの会社にいる人間達は、私と話をしているのを他人に見られることを明らかに恐れ、おどおどした様子であった。